なぜ、私はここにいるのだろうか?
私の出くわす場面にはどんな意味があり、そこから私は何を学ぼうとしているのか?
そして、私のミッション(使命)は何なのか?・・・・・そんなこんなことを思いながらの自己紹介編です。
<両親のこと>
亡き父は祖父が若くして他界したため医者になるという志を捨て、大阪の叔父の下で修行をし手っ取り早く収入源となる小売業「三島屋ふとん店」をはじめた。文字通りの生業であった。
昭和27年のことである。その時大阪で知り合った母と結婚した。
当時、三島屋ふとん店ののキャッチコピーは「しあわせな夜をあなたに」とあちらこちらに掲げられていた。
物不足の時世、寝具(ふとん)は社会的な要請を受け、また化学繊維・マットレス等の出現は寝具の需要を高め、三島屋ふとん店もどうにか軌道に乗った商いをさせていただいた。その中で私たち妹弟も健やかに成長させていただいた。
しかし、昭和46年母は肺炎をこじらせ41歳の若さで他界。
同時期、父も白血病と判断され死の宣告を受けていた。父は商売を続ける気力を失い店を畳む覚悟でいたらしい。
そこに出会ったのが義理の母。義母は父に勇気とチャンスを与え、父もしっかりそれに応え店を再興することとなった。支店・営業所を設け、三島屋ふとん店は時流に乗って勢いのある店であった。
しかし、以前より白血病で死の宣告を受けていた父にとっては、当時の商売のあり方は違うと思っていたようだ。
実際に販売している寝具は、化学繊維、ウレタンマットレスは、本当に良い「眠り」のためによいものだろうか?と疑問を持っていたようだ。
そして、父は亡くなる5年ほど前から インドより高品質の綿を取り寄せて 「本物ふとん」 を製造・販売をしていた。ここに貴重なテープが残っているが、これは父から私が受け継ぎ、そして次に受け渡すべきものであろう。
同時に父は、磐田の隣の浜松の地に「能力開発研究所」なるものを開設した。
父は人間の力をはるかに越える偉大なるもの(=神)の存在を信じ、朝晩の拝礼の習慣を私たち子供に義務づけ、神あることを知らしめた。おかげで私も何の抵抗もなく、大いなるものの存在を信じることが簡単にできるようになっている。
病気や困難に出くわす度に、今おまえは何を気づくべきか?と私たちに諭してくれました。
「能力開発研究所」では,誰もがそれぞれに天から与えられた特技(個性)を活かすべく天の声が聞き取れるよう、こころを空にすること、清い心で眠りにつくこと、そのための眠りにつく前の心構え、一日のはじめ方等、自然に抱かれる「眠り」の啓蒙活動が展開された。父の晩年の仕事は眠りと個性の発揮についての研究でもあったとも言えよう。
父からは、人は眠るのではなく、眠らされる存在だと教え込まれてきた。
<学生時代>
不思議なくらい、私はことごとく大学受験に失敗し、最後の砦であった福島大学経済学部に拾ってもらった。世間では入学シーズンが目前の、昭和50年3月30日、「アダタラヤマニハルキタル・オメデトウ」の電報が我が家に届いた。
学生時代の私は、剣道部に所属し、日本経済史の唯物史観を専攻していたが、大学3年の夏休みには父の運営する「能力開発研究所」で父の手伝いを少々することができた。ふとんのコトではなく、同時代に生きたカール・マルクスと天理教の教祖中山みきの類似性と神懸かりについて父にレポートを書いたりした。・・・・・・唯物論的に神の問題を考えさせられた時期であった。今思えば、本当に懐かしく、いい思い出である。
(この福島大学は、他と比べると、小さな大学ですが、枕の権威者の故・加藤勝也先輩、地域学の故・下平尾勲教授、また魂の生まれ変わり・生きがいの創造の飯田史彦教授、金縛りの名人として有名な睡眠改善協議会の福田一彦教授など、卒業して30年以上になりますが、今でも、と言うよりも、今頃になってから、いろいろな方にお世話になっています。これも不思議なご縁です。はじかれ導かれて、なぜか静岡から福島への不思議なご縁です)
福田一彦教授にここ磐田までお越しいただきこの地域12校の高等学校のPTA研修会に「中高生の眠りとメンタルヘルス」の題名でご講演をいただき、地域で、学校で、眠りの勉強をさせていただきました。
また、平成21年10月7日に他界された、加藤勝也氏のご指導を受け9月19日にオリジナル枕であるねいるケアあんみん枕もまさに加藤勝也氏最後の枕として世に出すことが出来た。
さて、父はそんな使命感を抱きながらも、闘病生活にピリョウドを打つことになった。享年48歳。
しかし不思議なことに、他界する3日前に社名を「三島屋ふとん店」から「菊屋」に代えて逝ってくれました。
父亡き後、義母は再婚し、店を離れることとなり、私はなんとか「のれん」だけはと言う思いで、私は東京でのサラリーマン生活にピリョウドを打ち、家業を継ぐことになった。
<まじめなふとん屋として>
昭和54年。すでに従前の寝具店の社会的使命は終了しかかった頃のことである。
それでも、私はふとん屋の二代目としてメーカー問屋さんの指導の下、あの手この手と、販売促進に励みました。しかし、社会的使命を完了した業種・業態、そしてこの時節。物余りで一向に売り上げが上がらない。
おまけに寝具専門店よりも他のチャンネルで寝具を買う人が増えている。ふとんはふとん屋でという人は10人中一人にも満たないと言う。
この苦境の中にあって気付くこと、私の学ぶこととは?
「物の時代は終わったのだ。気づけ!気づけ!確認せよ」 と自らに言い聞かせるも、
なかなか店も自分も変わることはできない。物品販売を生業とさせていただいている身の上。売れなければ、生活が成り立っていかなくなるのだから変わるに変われない。
生業という、小さな自らの為の仕事だから駄目なのであろうか。
もっと大きな使命をもってしっかりと世の中の役に立つ仕事をなければならないのだろう、と、必死に思ってはみたのだが、また、生活することが優先となってしまって、お客様を追いかける立場になってしまう。
そんなふうに大きなミッション(使命)と小さな自分の葛藤の中で、真にお役に立てるものは何であろうかと思いつつ、販売促進に身を投じてきた。
その、もがいている中、いろいろな方との出会いがありました。
その一人が「眠道」を掲げられた、寝具の製造メーカーの株式会社イワタの故・岩田卓三氏。
商品開発に関してもスリープケアシステムを立ち上げ、目指せ睡眠の自然体を基本理念に世界13ヶ国特許を有するイオゾンα2加工等の技術を駆使し世界に冠たる本物の羽ふとんの製造をメーカーのイワタの最高責任者でした。
私は父から受け継いだ本源的蓄積のもと、岩田氏からの指導を受け 「睡眠環境塾」 「羽毛研究所」に学び、一方では、「日本睡眠環境学会」の会員として、睡眠環境全般をみさせていただいてきました。
その後、日本睡眠改善協議会等でも、生活習慣の改善など、いろいろと勉強する場をいただきました。
物は具現化して、後からついてくるものだと、人々の「眠りの質の向上」に働きかけることが自分たちの使命だと言い聞かせてまいりました。
<使命(ミッション)と生業>
自分たち中小零細企業、とりわけ地方の商店は、メーカーがつくったものを販売して、そこからの利益(=売上ー仕入)で生活をしている。
何処の町に行っても、その町には、それぞれの業種の各メーカーの製品を元気に、頼もしく販売する小売業がたくさんあった。ふとん屋、洋服屋、おもちゃ屋、運動具店、化粧品店、電気屋・・・・・がそれぞれ自分たちの生活圏をしっかり持っていた。それで、生活をしてきた。
そして、その生業としての仕事とは別に、学校のPTA役員や、消防や、お祭りの担い手として、地域社会の役に立ってきたつもりだった。
地域社会に、しっかりと根を生やして、養分を吸収させていただく代わりに、酸素の供出や、きれいな花を咲かせて地域の人々に喜んでもらったりしてきた。
もちろん、物品販売業者としても、住人の役に立ちながら、地域に生かせていただいた御礼もしてきたつもりだった。
そんな、元気に繁栄した植物のような、小売業者であった。
そこへ昭和40年半ば頃から、そんな地域社会に餌を求めて、動物がやってきた。
大きな資本の大型店である。ナショナルチェーンの量販店である。
まず、中心市街地の商店街に進出して、次に餌を求めて郊外へ出て行った。
役に立つと言うことは、絶対評価ではなく、相対評価によって決まるものである。より良くて、より安く、より豊富な中から、より便利に、・・・・といった相対評価でもって決められる。
だから、物品販売だけなら大型店の方が役に立っていると言えよう。
そんな中で、役に立つことが困難になった、小さな小売業者は、だんだんとお店を畳んでいくしかなかったのだろうか。
30年ぶりが、最後の講義となってしまった恩師の故・下平尾先生の言われた「中小企業は倒産する運命にある」はなるほどと、思わせる一面があるけれど、世の中に役立つように変化し続けていくことが経営課題だと思います。
件の動物たちは、我が者顔で、たくさん餌をあさって、なくなるとどこかへ移動していくのですが、植物である地域の小売店は何処へ行くこともできずにへたばってしまう。弱肉強食とも言える自然の掟でもありましょう。
役に立たなくなったら、お呼びでなくなったら、「これまた、失礼」とその場を去らなければならない。存続も許されなくなる。
ただ、その動物がどこかへ行ってしまうと、巨大な店舗は廃墟となり、街そのものも、寂れていくのですが・・・・・・私たちの商店街も、名前はジュビロードと全国区なみですが、ご他聞にもれないシャッター通り、何とか役に立つように変わらなければと思っているが、相対評価をされて、誰に対して、どのように役に立つのか、役に立たしていただかなければ生きていけない身の上だと言い聞かせているのだが・・・・。
生業として立っていけなくなった時、もう一度、使命を考えるべきだ、
「我が身助かりたかったら、人に尽くせ」の理を、実践を通して証明させたいと思ってきた。
<眠りの勉強>
人々の役に立っていくことが、生きる力となることだ。
となると、生業として商売をするには、もっともっと、いろいろな勉強をしなければならないということ。
戦後まだ物が足りなかった頃は、物の供給だけで役に立っていた。
その後、社会の仕組みや機能が変わって、勉強しなければ役に立たない時代になっていった。
モノだけでなくコトにも精通しなければならない、それを具現化した商品を開発して、販売しなければならないと思ってきました。
相対的に役に立つためには大型店対策もその一つでありますが、いろいろな面で、生業が高度化していかなければなりません。
兎にも角にも、役に立つように自らを改造しなければならないし、その役に立つことがそのまま、生きる力となるのだと思いました。小学校での学校運営協議会でも生きる力=役立つことだと主張してきた。
生きる力とは、そのまま、世の中で、生かされる力であり、生きるのではなく生かされているとも言えそうだ。
私も店も、より良い眠りを提供することによって、役に立てるのであり、
どんなに苦しい時でも、つらい時でも、夜はぐっすりと眠れるようにしてあげなければならない。
よく眠れると 笑うことが出来るはず。
よく眠れると 人生課題にしっかり立ち向えるはず。
よく眠れると 疲れがとれてファイトが沸くはず。
よく眠れると 穏やかになり優しい心になるはず。
よく眠れると 夫婦愛和、家庭円満、家内安全となるはず。
よく眠れると 頭がさえて、いろいろなひらめきも、もらえるはず。
よく眠れると 世の中平和になるはず。
そのような眠りが提供できれば役に立つ存在になれるのだが、人は眠るのではなく、眠れされている存在、もっともっと、眠ることについて勉強して、役に立つ存在になりたいと思ってきた。
<「生きる力」と「眠る力」>
「生きるのではなく生かされている」と言うことと「眠るのではなく眠らされている」が同じだと思ってここまで来た。
戦後60有余年を経て、日本人の生きる力が低下したとよく言われる。
同様に、眠る力も低下して、日本人の半数不眠 3割が自覚症状ない潜在的不眠症!と言われている。
実際に自分の睡眠力をチェックししてみると自分の睡眠度が分かります。これは国際基準です。
役に立ってこそ、生かされる、「我が身が助かりたかったら、人に尽くせ」と教えられた人の生きる道は、正しいことだと思っている。
睡眠力も自分のことだけ考えていては駄目だと思う。
実際に
自分もそうだが眠れないで困った時に眠ろう、眠ろう、眠らなければと、もがくとますます眠れなくなる。
そんな時には自分のことを一旦、棚に上げて、世界中の人々が平和で安眠できるようにと祈ることが自然に、自分も眠りに導かれる術であると試してきた。自分が先に行くと上手くいかない。頭の良い人でも、自分のことばかり考えると頭の中が混乱してくる。実際に、あんなに勉強のできた人が、残念なことをしている場合もある。
生きる力と、眠る力。自分で生きているようで、生かされている。眠っているようで眠らされている。
そのような天然自然の法則のようなものがあるのだろうと感じながら、人々に、心も身体もやすまる「安眠」を人々に届けることができれば、それが生業となり、自らも助けていただける。生きる力も授かる。という道理をいつの日にか確認できたらと思ってきた。
先代の掲げた「しあわせな夜をあなたに」と言うテーマを、自分が後を継いで数年後に「人々に健康で快適な眠りを届ける」と書き換えてふとん屋をやってきた。
そしてその思いをインターネット上にも載せようと試みたのだった。
<あんみんドットコム菊屋の誕生>
1996年、5月に40歳の誕生日にパソコンを購入し、あんみんコム「www.anmin.com」のドメインを取得してホームページを立ち上げた。 <ホームページ開設13年の歩み>
関西大震災を通してもインターネットの有用さが認めらはじめていたが、自分にとっても「40の手習い」との挑戦であった。夜を徹しても、なんとかパソコンを使って、役に立つ存在になるべく、必死で取り組んだ時期でした。
現場で学んだ「眠り」のことを、いつも口頭で言っていたことをインターネット上に載せることに励んだ。
すなわち、より良い眠りの三つの要因●心の平安●身体の健康●物理的な睡眠環境をインターネット上に載せることにした。
とっかかりは、物理的な睡眠環境の提案。そして、その最初に取り組んだのは、―あなたに合った枕を探し提供するーというものだった。
たかが枕、されど枕、枕は小さな巨人であること、良質の睡眠を得るためには枕は不可欠で、ピッタリとフィットした枕は正しい寝姿が保たれ、呼吸も楽になり、頚椎を優しく支える、そんな枕はより良い眠りのための大きなファクターだと一生懸命に打ち込んだものでありました。
さらに、この物理的な睡眠環境のための三つの要因として●正しい姿勢で寝ること●寝床の適度な湿度は50%●適度な温度は33度を保てるように、枕からはじまって、敷ふとんから、掛ふとんへと、現場と同じようにより良い眠りを提供するふとん屋をネット上に載せることをしました。
十数年前のこと、まだインターネットの普及もそんなにありませんでしたし、生業としてご飯を食べていくまでもいきませんでした。
私のインターネットでのがんばりに家内からは「お父さん、そんなところに座ってばかりいないで、外に出てふとんを売って来て」とハッパをかけられ、足で稼ぐ営業実践もせずに、机(=パソコン)に向かうと言う行動に後ろめたさもあり、パソコンに関わる時間帯を午前3時頃からお店のシャッターを開ける9時までと変更し、後は営業に勤しむ、このみんなが寝ている間に、なんとか活路を開き、世の中の役に立つような存在にしよう。さもなくば、一族郎党は生きていけなくなってしまうと、希望と危機感が、混ざり合ったなかで、懸命にパソコンに取り組んだ時代でした。当時のことはインターネットを始めた頃の私の夢としてウェブ上に残してあります。
<ネットでネットが! 蚊帳の復活>
インターネットはをはじめて、遠方の方からの枕や寝具の注文があった。枕なんでも相談会などで、何度も何度も問い合わせに応えさせていただき購入していただく場合もある。インターネットはインタラクティブ(=双方向)で、使用感やアフターフォローなども現場同様にできるのだが、ネットで購入した顧客から、蚊帳についての問い合わせがあった。店頭ではなかなか見かけられなくなった蚊帳だが、ふとん屋としては手の届くアイテムですぐに、滋賀県でつくられた蚊帳を京都西川さんから仕入れてお届けした。
明け方、静かにネットにネットをアップしたのは、この時のことだった。これが(インター)ネットで(モスキート)ネットのはじまり、蚊帳と菊屋の復活の第一歩だった。百貨店でも見つからない、どこにも販売されなくなった蚊帳を提供させていただくことで役に立たせていただき、生き残れる道が見つけられた時であった。
<同時期、ガイアシンフォニーの上映会>
蚊帳と菊屋の復活に一役をかったのが、1997年、龍村仁監督の1992年の作品「地球交響曲・ガイアシンフォニー」の上映会であったと振り返ることができる。ガイアシンフォニー・地球交響曲はガイア(地球)の声が聞こえますか?と呼びかけて、地球と共に生かされている「いのち」に耳を傾けさせられる映画で「癒しの映画」とも呼ばれています。
映画を観ると、生きている私たちは生かされている存在でもあると感じます。
同じように、眠ろうと思ってもなかなか眠ることができない私たちは眠るのではなく、眠らされている存在だと思ってきました。ガイア(地球)の声を聞きながら、ぐっすりと眠りに就いていく、母なる地球と、手も足も出すことのできない「眠り」の意味を考えながら、より豊かな眠りに仕上げるコツについて考えさせていただきました。大きな映画興行会社からは相手にされなかった、ヒットするはずがないとお蔵入りを余儀なくされていたこの映画が、口コミで、全国あちらこちらで自主上映されているという、奇跡が起り続けていたのです。そしてガイアシンフォニー第一番から二番、三番・・・・六番と続き、第七番の制作に入ると言う連絡を受けました。次から次へと広がり続けているのです。この映画界の奇跡の現象だといわれたことも、その後の調査では、この映画に感動した人が、自分の家族、友人、知人などにその想いを心から熱心に語り始めたから起きたものと判明しました。まさに個別に電話、FAXなどで、その情報が一挙に伝播し始めたのでした。
素人の”心からの想い”が、ひとりふたりと拡がり、専門家でさへ売れないと判断した映画をここまで、押し上げてしまったのでした。
この映画の存在を知った私は40歳定年の「青年会議所」も「商店会連盟青年部」も卒業して、既存の組織ではなく、インフォーマルでまったく新しい、共通の目的意識でつながったインターネットのネットワークから出来上がったみんなの力で、磐田の地での上映会が実現された。インターネットのつながりで全国からたくさんの助っ人が磐田に集ってくれた。ガイア史上でも、インターネットによる自主上映会はこれが最初であったと思います。
龍村監督は「人の心が生み出した『地球交響曲』:ネガティブな状況こそ、ポジティブな世界を生み出す源泉」と題するメーッセージの最後に次の言葉を引用しています。まさに、
『人間の想像力は、単なる絵空事ではない。人は心に描いたことを必ずいつか実現する。そのために神は、人間に想像力を与えたのだ』=フリーマン・ダイソン(地球交響曲第一番より)
物売りのふとん屋から脱皮してどうすれば、世の中の役に立ち、喜んでもらえる存在になれるかと、あれやこれやと試行錯誤のうち、40の手習いでホームページを開設したのが1996年。
生きる道を捜し求めていた寝具店菊屋よ今こそ変態を!と、ネガティブな状況に置かれている私にとっての挑戦であり「気づき」となったガイアシンフォニーの上映会でありました。この自主上映会から菊屋は本格的に蚊帳の販売と開発を開始しました。
<顧客の求めにどこまで応えられるか → 生きる力をアップする>
最初は家内にもばれないように、隠れて「そおっと」アップした蚊帳への注目は日を追うごとに高まって行いった。
蚊帳を扱うようになって、「蚊帳」という字を読めない人が大半なのに、「蚊帳の外」という言葉だけが生き残っていることに怪訝な思いを持った。蚊帳は歴史の中で消えて行く運命にあるのか。
しかし、蚊帳は死滅した訳ではなかった。
小さな子どもがいるので、できるだけエアコンを使いたくないという若い親御さんたち。
アレルギーとか喘息をお持ちで、できるだけ化学的なものを住空間に入れたくないというお客様。
そんな方々がどんどん「蚊帳の中」に戻って来てくれた。蚊帳の外は寂しいけれど、蚊帳の中は心地良い。
蚊帳のすばらしさには、私自身が驚かされた。
蚊帳には、殺虫剤を使わない、生地そのものの蒸散作用によりエアコンを使わなくても内部の気温を低くする効果がある、といったパッシブな効用ばかりではなく、家族がひとつの空間に集い、穏やかな夜の時間を過ごせるなどの精神上の効果もある。
その昔は、カミナリが鳴ると、蚊帳の中に逃げ込んだほど、安心できる空間であった。
薄れ行く記憶の中で、たとえば「夏休みにおばあちゃんちで入った蚊帳の記憶」といったものに郷愁を感じる人も少なくなかった。
そんな現代社会での蚊帳の効用もまとめてみた。
環境にやさしいばかりか、その心理的効果は世界平和にまでつながっていくものではないか。
実際に、アフリカではマラリアで年間150万人もの子供が亡くなるといわれている。
インターネット上で蚊帳をキーワードで検索したところ、ヒットしたのが菊屋だけだったと、日本国政府からセネガル共和国などに蚊帳を援助物資として20万張りほど贈りたいが見積もりを御願いすると言った依頼も受けてたいへん戸惑ったこともあった。
眠れない日本人が増える中で、自分を棚に上げて、アフリカの子供たちがぐっすりと眠れますようにと祈れば日本人の不眠は解消され、ぐっすりと眠ることができるのではなかろうか!と
、
眠りに関する哲学がしっかりした形になって行くのを感じさっそく、アフリカへ蚊帳を贈る運動などを呼びかけた。
蚊帳の売れ行きはどんどん伸びた。それに伴って、顧客からの問い合わせも増えてきた。
そのひとつが、「ベッドでも使える蚊帳はないの」という要望に、ベッド用の蚊帳を開発。
「蚊だけでなく、ムカデなどの害虫が入ってこない蚊帳はないの」という要望には、ムカデ侵入防止蚊帳を開発。
お客様からの声がたくさん寄せられ、「どうぞ、蚊帳の中へ」の出版もできた。
さらには、「洗濯できる蚊帳がほしい」との根強い要望もあった。
古来から平織りで作られた蚊帳は水洗いには弱い。そこで平織りではない蚊帳は作れないかと考えた。
念頭にあったのは、この磐田近郊で遠州別珍などの織物が盛んだったこと。中でも、静岡名産のシラス漁に用いられる網や、米の炊飯や蒸篭に使われるカラミ織の技法だった。
顧客の要望に応えなくては、生きていけない。役に立ってこそ生かされるの願いで何とか機屋(はたや)さんに納得してもらい、洗えるカラミ織の蚊帳を開発した。縫製技術と織物技術の統合であった。
もちろんどの世界でも競争がある。ムカデ用の六面体の蚊帳などと誰も相手にしないと思っていたらそうでもない。
相対評価の対象になるのであるからよりよいものをお客様の声を聞いて、絶えず勉強して、応え続けなければならない身の上だと、いい聞かせている。
これだと、また、単なる競争になってしまうが、もう一つ大きなものの応援というか、何か大切な精神的な基礎を固めたいと思ってきた。
この地方の磐田に住んで、ここから顧客の要望を聞く。
そして、
地元に蓄積された織物技術と縫製技術を活かして、また、全国に発信できるようになった。
片一方では、マラリアで困っているアフリカの人々にも安眠を与えることで、自らもよく眠れるようになる。
こんな風にして、地域力がアップして、世界中にも安眠が届けられるような仕事ができれば、大いなるものはきっと応援をしてくれることであろう。
京都西川の故・谷邦夫元特別顧問のお力添えにより、開館した「蚊帳の博物館」も世界の平和と安眠のシンボルにもなっている。
また、世界の平和と人類の幸せを安眠を目指した、菊紋和(きくもんなごみ)ブランドも誕生・育成させていきたいと考えている。また「ろあーす」という名前、ロハスとアースをくっつけて空間づくりを静岡デザイン専門学校さんのゼミ運営の中で展開させていただいています。
そして、ここに蚊帳の循環系が完成しました。
すなわち、 命を守る蚊帳 → 脱・恐怖の蚊帳 → 蚊避けの蚊帳 → 安心の蚊帳 → 安眠の蚊帳 → 癒しの蚊帳 → 祈りの蚊帳 → 究めの蚊帳 → 命を守る蚊帳 蚊帳の循環を通して 世界中が安眠できますように! と、菊屋は蚊帳を通して 【平和→安心→安眠→祈り→世界平和】 の循環をめざします。
<正しいこと その証拠>
「我が身が助かりたかったら、人に尽くせ」と教えられた人の生きる道は確かに正しい。
この10年余り、インターネットを導入し、いろいろな蚊帳を頼まれてつくっるようにったが、それが生業となって、今日もこうして結構な生活をさせていただいいるのだから正しいことだと確信できる。 頼むよりも頼まれる方がずっと楽である。
サムシンググレード、大いなるものは、より大きな世界の平和と人類のしあわせをお望みのようです。
そして、人間の手で破壊されている地球環境問題も大いなるものにとっては大きな悩み事だと思います。
地球交響曲=ガイアシンフォニーで母なる【地球の声が聞こえますか?】と問われていますが、大いなるものの大きな思し召しに副えれば、もっともっと多くの不思議をお見せいただけることだと思います。
眠らなければ、眠れない、眠りたいがやはり眠れない、何とか眠らねばともがいている現代人にも一旦、自分のことは棚に上げて、大いなるものと同じ思いで、「世界中の人々が平和で安眠できますように」と祈ることによってぐっすりと、良い眠りに導いてくれるものだと思います。
そのような天然自然の法則のようなものがあるのだろうと感じながら、
人々に、心も身体もやすまる「安眠」をお届けすることを生業として、これからも進んで行きたいと思います。
自分が安眠できるようになるためには、世界中の人々が安眠できますようにと、祈ることが有効であろうとあんみんタオルをつくってみました。これで一人でも不眠が軽減されて、アフリカの子供たちが救われるといいと言う願いから。
ちいさな、自分の生業が、大いなるものの御心にそって、元気よく、喜んで働かせていただければきっと上手くいくのだろうと、その考え方が、正しいことだと思います。
今回のまちかどのフィランソロピスト賞の受賞は、そのことが正しいことだとお認めいただき、 小さな自分の大きな望みである「世界中に安心と安眠を届けることができる蚊帳は日本をそして日本人をも救う」 が認められてたいへんうれしく思います。

栄えあるまちかどのフィランソロピスト賞受賞に際して撮った写真
平成20年11月12日 撮影
私財を投げ打って社会貢献をされた歴代の受賞者の皆様と比べると、些細な私は本当に恥ずかしく思うのでありますけれど、このちっぽけな私の受賞なればこそ、現在、希望を失いかけて、もがき苦しんでいる最中の人々に夢と希望と、そして安眠のきっかけが与えらるのではないかしらと受賞の意味を考えております。
人々に役に立つ受賞であればたいへんうれしく思います。おまけと言うとお叱りを受けるかもしれませんが、磐田市民賞まで頂戴してしまいました。
そんな、蚊帳を通しての安心・安眠の提供者として認めていただけるようになりましたが、この平成21年9月に、これまた故・加藤勝也先輩をはじめとする多くの方のご指導・ご協力を賜り「ねいるケアあんみん枕」を世に出せることになりました。
ここで、父からの継承をと【ねいるケアあんみん運動】を展開していく所存です。
インターネットの可能性と眠りの面でのお役立ちと言った目的から寝具店の菊屋を超えた【あんみんCOM】をスタートさせ、先代の能力開発研究所の精神を引き継ぐことができれば、生業のより大きな進化を果たしたものだと言えるのだろう。
小我から大我へ この道を歩ませていただかねば。
世界中が平和で安眠できますように! |