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偏見

静岡産業大学・経営学部助教授 杉山三七男

2004/4/15 No.1246  磐田市ホームページPDFファイル3ページ目上段


  偏見って何だろう。実はこれがよく分からない。 「私は偏見のない人間だ」と声高に主張している人が、偏見の塊のような発言や行動をしている。これは私の偏見だろうが、公になる関係からか、それが「偉い」と言われるような人に目立つように思われる。
 そこで、偏見を過去の経験に基づいて考えることだとしよう。ある時、友人が内向的な感じの人を紹介してくれた。 次に会ったとき、その人が明るくて外交的に見えたので、非常に驚かされた。このように人は、過去の経験を当然のものと考えて物事を見る傾向がある。だから、それと違った場合に驚くのだ。
 言葉もよく似ている。たとえば「犬」と言ったとき、大きな犬を思い浮かべる人もいれば、小さな犬を思い浮かべる人もいる。それは、個々の人の過去の経験によって違う。だから、思い浮かべているものの異なる人々が話をすれば、ともに途中で違和感を感じることになる。それは、偏見がある証拠であろう。
 このように考えると、偏見は思考の基礎であるように思われてくる。言葉でいえば、その意味を確定するものである。意味が確定しているから、言葉を使って思考することができるのである。確定していなければ、思考を展開することさえできない。では、「偏見がない」とはどのようなことであろう。少なくとも、考えることが困難な情況だとは言えよう。
 つまりわれわれは、偏見の塊なのだ。そのことに自信を持とう。そして、間違っていれば修正すればよい。逆に自分の偏見を認めない人は、実は、無意識のうちに自分の偏見が正しいと思っている人なのである。その立場では偏見は存在しないのだから、存在しないものを修正することもできない。意味のない滑稽な言い訳をするばかりだろう。




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