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| 無知や未知がもたらすもの |
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| 静岡産業大学・経営学部助教授 杉山三七男 |
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無知や未知は何ももたらさないと言われるかもしれない。 本当にそうであろうか。 確かに、 その状態をすべての出発点とすればそうであろう。
しかし、 ある点に関して無知や未知であっても、 すでに偏見は存在して活躍している。
例えばわれわれは、 昔から火山を神のように扱ってきた。 火山が噴火するメカニズムを知らない昔の人々は、 噴火という手に負えない現実に直面し、
偏見を駆使して山を神に仕立て上げたのではないか。
もっと日常的な出来事に基づいて考えてみよう。 ある町で、 日本人女性が外国人に乱暴されたという噂が立った。 警察に問い合わせたところ、
そのような事件はないとのこと。
事実はこうである。 ある日のこと、 ある女性が夜遅く帰宅する途中、 公園の近くで見知らぬ外国人が集まっている所の近くを通り過ぎ、
怖い思いをした。 翌日彼女は、 職場の仲間に昨夜の怖い思いを話した。 その話が人々に伝わる段階で、 日本人女性が外国人に乱暴されたという内容になってしまった。
外国人は、 本国に国際電話をするため、 公衆電話の周りに並んで待っていただけのことである。
その女性は、 いったい何を見たのであろう。 外国人が集まっているという事実を見ただけではない。 「見知らぬ」、 そしてそれ故に 「怖い」
外国人を見たのである。 それは、 彼女が心の中で作り上げた偏見だが、 当の彼女にとっては真実なのだ。 そして、 彼女と似通った思考をする人々が、
彼女の話を乱暴事件にまで仕立て上げてしまった。 |
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