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8月21日、御殿・二之宮遺跡で中泉御殿の主殿の位置がほぼ判明したことを受けて、現地説明会が行われました。
昨年度の調査では正門跡や一部の塀跡を発掘し、今年度の調査で、築地塀に沿うか近接すると思われる排水溝跡と、主殿の通用門かとみられる堀立柱の門跡が見つかりました。これにより、調査を行っている区域の西側に主殿が位置していたことが分かりました。
説明会には、168人が参加。見学に訪れた皆さんは、文化財課職員の説明に耳を傾けながら、家康の時代に思いをはせていました。
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| 中泉御殿とは |
徳川家康が天正12年(1584)から天正15年(1587)にかけて築造し、寛文10年(1670)まで存続しました。徳川家が東海道を往復する際の宿泊・休憩用に造られた館です。
敷地は1万坪との記録があり、東海道沿いにあった唯一の上洛御殿で、徳川将軍家の御殿の中でも拠点的なものであったと考えられます。
元々は軍事的な役割を持ち、関が原の合戦の時には、ここで家康は前線の勝利の知らせを受けて出陣したと伝えられています。 |
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