| 「ヤマハ発動機では、昭和52年から障害者の雇用を始め、自分の職場にも聴覚障害者が入ってきました。仕事を円滑に進める上で、どうしても手話が必要になりました」
これをきっかけに、聴覚障害者と、手話を学びたい人が一緒に活動する「磐友会」に入り、聴覚障害者と共に行動するようになったそうです。
「サークルを通じて、聴覚障害者の結婚式や、病院への付き添いなどにも行くようになり、徐々に手話が上達していきました」
しかし、手話通訳者は少ないため、依頼を受け家を留守にすることもしばしば。手話をやめることも考えたそうです。
「両親とも耳の不自由なお宅に電話をした時、熱を出して歩けないような3歳の子供が、その電話に出たことを後から聞き、その時、私は改めて手話を続ける決心をしました」
斎藤さんは現在、「磐友会」の会長や、市・県登録手話通訳者として活躍されていて、4月からは毎週火曜日に市役所の待機手話通訳者の1人として、聴覚障害者の支援をしています。
しかし、現在、市登録の手話通訳者はごくわずか。平均年齢も上がり、新たな手話通訳者の育成が不可欠です。
「手話は、形式的に学ぶだけでは上達しません。その意味でも、磐友会に入って、聴覚障害者と交流しながら、一緒に手話を学んで欲しいですね」
「聴覚障害者にとっては、必要な時にいつでもどこでも手話通訳者がいてほしいものです。必要とされれば、すぐに喜んでとんでいき、共に学んでいきたいと思っています。」
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